はかなごと

誰かに宛てる訳でもなく

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>



スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
世界旅行
前回の続きみたいなもんで、今度はその延長線上にある「死」について書く。
多分、たくさんの人が受け入れられない理論だと思う。自覚はある。
考えても分からない話だから。

ここで大叔父さんのお言葉をお借りすると
「隣の国に旅行に行ったようなもんだよな」。
適確すぎて笑っちゃった。
そう、死ぬっていうのは、祝われこそすれど嘆かれることではないんです。
何度も繰り返してきた中の一回に過ぎない、ごくごく自然な事なんです。
誰かの死を嘆くのはエゴでしかない。

大切な人が死んで、何も感じないって訳じゃない。
もう会えないのは寂しい。
でも、悲しくは、ない。
大切な人が旅行に行くってなった時と、ほとんど同じような心境です。
それは少し寂しいけれど、それでもその人の幸せを願うなら笑って送り出す。そんな感じ。

そんなに、しがみ付かなくてもいいと思うんだよなあ。
怖いからそうなるんだろうけど、本当はちっとも怖くなんかないんだよね。
夜が来ることを泣き叫んで怯えるようなもので。
夜が来ればちゃんと朝は来るのに。
自然な、当たり前の流れでしかないんだから、軽く受け流せばいーんじゃない?と、思う。

とかまあ
絶対、人前ではこの話しないけどな。
すさまじく退かれる(もしくは反論される)だろうから。
でも、直感で真実だと思ってるから、意見は曲げません。
人の数だけ価値観はあるってことだよね。真実も人の数だけ。
| 世界の話 | 12:39 | comments(1) | - |
スポンサーサイト
| - | 12:39 | - | - |
思ったより、「現実」というのは沢山存在している。

というか、人それぞれが認識している「現実」は、その人の数だけあるということだね。それはポジティブに捉えれば「夢は叶う」という事にもなるし、ネガティブに捕らえれば「死が待っている絶望」でしかない。

そのそれぞれの「現実」が積み重なって全体の「現実」を形作っているという仕組みだ。これが「真実」でもある。

従って、我々の存在は、個と全体がそれぞれ影響しあって在る事ができる。繋がりを否定しても本質的から外れるだけでそこに幸せはない。

話を戻すと、これらの縛りから自由になることを「解脱」とも言うのであって、その縛りから離れ「入滅」することが「悟り」の一つの形でもある。

仏陀自身は、「死後の事なんてわからん。そんなこと考える暇があるなら『今』の為に生きよ」と言ったが、それは正しい。

「死」は誰にでもやってくいる。しかし、先人の言葉を信じるなら、今をきっちり生きる事で、「死」は、恐れるものではなくなるだろう。死後の世界は死んで見ないと分からないが、その世界が存在するのにしても、ちゃんと生きる事が出来れば、因果応報、楽できるぜ。

「楽するためなら、なんでもする」このパラドックスが重要だな。
| Kohji Asakawa | 2008/12/14 11:32 AM |