はかなごと

誰かに宛てる訳でもなく

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>



  • admin
  • RSS1.0
  • Atom0.3


  • Graphic by tudu*uzu
  • Designed by evidence


スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
関係の分化
人間関係って、分化させるのが正解だと最近思った。

あの人とは趣味の話をして。
あの人とはくだらない遊びをやって。
あの人とは困った時に相談させてもらって。

そんな風に、パーツパーツで色んな人と付き合っていくのがいいのかなって。
誰か一人に全部を求めるとか、そんなのはやっぱり無理だなって。
当たり前だけどw

適材適所は適格適当に。
それは諦めじゃなくて冷たいんじゃなくて、賢い人付き合いじゃないのかな。

人付き合いの上手い人は、人との距離を調整するのが上手い人で。
適切な距離を置く事が円満な関係に繋がる訳で。
どこか寂しい話にも思えるけど、でもそれが正解だと、思ったんだ。
結局、僕等は何処までも別個の存在でしかないんだから。


ん…?
どうなんだ、これって皆普通にやってる事なのか?
コミュニケーションレベルが小学生以下の私にしては世紀の大発見なんですが皆は当たり前に知っているんでしょうか^^
| 世界の話 | 12:11 | comments(3) | - |
全ての存在はそれ単体だけでは存在できない。


例えば。
“光”しか存在しない世界では、それを“光”だと定義することは可能なんだろうか。
逆に、“影”しかない世界では、以下略。

“光”と“影”の二つがあって、初めて存在が成立するんだ。
いや、存在自体は元からしていたのだけど、“それ”しかないと、それがあるのかないのか何なのかが分からないから、つまりそれは無いのと同じ事になる。
全は、イコール無になる。


せつめいへたでごめんなさい吊ってきます。

要するに、何かと何かを比較して初めてそれ等の存在を認識する事ができる、イコール存在してるって事になる訳です。
おかしな話だけども。


「全部あるのは、何にも無いのと同じ」って小学生の頃から言ってたけど、最近やっとその意味が解った。意味も解らずに発言する無責任者は私です。

この話題についてはどんどん広げられるからとりあえず入り口はこれくらいで!
なるべく短く収めようと思ってるんだぜ!!
(十分長くてごめんなさい吊ってきます)
| 世界の話 | 00:26 | comments(0) | - |
思考と思想
 “知っている”と“解っている”との間には、大変に大きな差がある。

差別をしてはいけないなんて事は誰でも“知っている”事ですが
“知って”はいても、例えば知的障害のある方に対して「きもちわるい」とか「あんまり関わりたくないなぁ」なんて思ってしまう人は少なくないよね?

まあそういうこと。
知識と知恵は違うし、思考と思想は違うし、決定と決行は違う訳です。
頭で考えてもどうしようもない事はある。いっぱい。

結局
どんなに的を得た正論でも、自分が本当の意味でそれを理解して納得して吸収しない限りは、意味を成さないってことです。
忠告や助言の無意味さはここにある。
うんまあ無意味ではないけど、場合によってはほぼ無意味に近くなる事はあるね。


今日は文章がまとまらない日みたいだぜ^^
| 世界の話 | 01:48 | comments(0) | - |
哲学

私が考えることというのは、哲学ではない。
倫理学でもない。心理学でもない。
だって、学問じゃないから。

専門用語は何も知らないし、本なんか読んだことないし、勿論学んだことなんかない。
ただ直感で確信してるだけ。そこに根拠は何も無い。

でもさあ、正直、哲学って不毛だと思うんだよね。
勿論、それを学問として真面目に探求なさっている方々を批判する気は無い。
でも、答えの無い学問ってそれは学問ではないような気もする。
学ぶことは何も無くて、ただ考えて考えて考えるのが全部だから。

全ての謎は一言で正解を出せる。
「それは人それぞれです」。

単純は無知ゆえの不正解とか、何の根拠があって言う?
小難しい漢字並べ立てれば全部正解に見えるんだろ?
正解は難しくなくちゃいけないのか。
「そんな簡単なことなら誰でも分かるだろう!」とか、そんな簡単な事も分かっていない自分を隠したいだけ。
事実はシンプル。
見えない人には見えないだけ。

とかね、ちょっとどっかの誰かに向けて反抗してみるテスト(・3・)
私って基本的に反論しかできないからね。反論なら任せろ。

| 世界の話 | 21:56 | comments(0) | - |
親子

子供は親の所有物ではなく。
親は子供の支配者ではない。

それは、当たり前の事のようだけど、実際履き違えている人が多かったり。

自分の夢を押し付けたりとか。自分の希望を押し付けたりとか。
それは、子供のためにやってるんじゃなくて、自分のためだよなあ。

いい学校出ていい職業に就きなさい?
ならあなたがやればいーじゃない。子供はあなたじゃないんですよ。
一から全部手出しして、選択権を奪う事が“愛情”ですか?
学校教育にも言えることだけれど、選ぶ力を失わせてるのは貴方達なんですよと。

失敗は避けるものではなく学ばせるものです。
どんどん失敗すればいい。その分だけ賢くなれるんだから。
既にある程度賢くなった大人達にはその賢さを知らない感覚っていうのが分からなくなったのかなあ。

思い通りにしたいなら人形を買えばいい。
ただ可愛がりたいだけならペットでいいでしょ。
子供って、そういうもんじゃないと思うんだ。

あれだよ、獅子は崖から我が子を谷底へ突き落とす訳ですよ。
可愛い子には旅をさせろって訳ですよ。
その後のフォローをしっかりするのが親の仕事なんだと思います。なんて。

| 世界の話 | 22:35 | comments(1) | - |
因果応報

神の罰なんかないって言ったけど、じゃあ何をやっても許されるのか。
それは許される。自由は、どこまでいっても自由だから。

許されないことがあるなら、神は最初からそんなことができる機能を剥奪しているはずです。
小さい子にはおもちゃを与えて、刃物は絶対に手の届かない場所に隠すみたいに。
おもちゃをどうしようがそれはその子の勝手。何をしても絶対に安全だと判断した上で渡されているのだから。
けど、乱暴に扱えばそれは壊れてしまうし、外で遊べば泥だらけになる。
それは悲しい事かもしれないけど、当然の結果だよね。
人生も、ぶっちゃけ、そんなもんだ。

つまり。
人が行動する時、神がそれを裁くことはないけれど、その行動の結果は自分に返ってくるってこと。
悪い事すれば、悪い事が返ってくるし。
良い事すれば、良い事が返ってくるし。
ああ、そうそう、「因果応報」だ。

ここでまた善悪の定義の話になってきそうだけど、省略(まさかの)。
定義の話なんて「人それぞれですね」の一言で終わっちゃうんだよ!

とりあえず、誰かを傷付けたり、貶めたり、損なわせたりするのは、良い事とは言えんよな。
逆に、誰かを楽しませたり、癒したり、手伝ったりするのは、悪い事とは言えんのだ。
“誰か”の対象にはもちろん“自分”も含まれているよ。
まあなんか
やってみて分かる事もあるし、とりあえずやってみて「あ、これ悪い事かも」とか「俺って良い事したんじゃね?」とか思えばそれでいいと思う。

ただ
確かに、行動には結果があるけど、それがいつ返ってくるのかは分からない。
一秒後かもしれないし、十年先かもしれない。
で、なんか、分かりやすい「結果」がブロック状に返ってくるわけでもないんだと思う。
それは多分、やんわりとした変化で、返ってくる。
進路の軌道修正みたいなもんに近いんじゃないかなー。よくわからんけど。

| 世界の話 | 11:12 | comments(0) | - |
罪と罰
「天の罰が下る」
「地獄に落ちる」
「神に裁かれる」

当たり前のように、そんな脅し文句を言う人がたくさん居るけど
あなた達、神をなめるんじゃないよ、と思う。
全知全能は全てを在るがままに受け入れる、限りなく深い御心の持ち主のはずじゃないのか?
人間界の些細な些細な1ナノメートルにも満たない罪状ごときで裁いたりなんかする訳がない。

そもそも神は裁かない。
善悪って概念は当たり前みたいに鎮座してるけど、そんなの人間が勝手に作り出したものだもの。
これが善いとか、悪いとか。
そんなもの、最初から存在しない。
だから神は全てを受け入れる。それはそれでしかない。善いも悪いも無い、強いて言うなら、善いし悪い。

まあ、現代では変わってきてるのかな。
「こうしなければ不幸になる」より、「こうすれば幸せになる」の方がウケがいい。
つまりは、手放す幸福さえ手にしていないっていう事なのだろうか。
うーん、飢えてるなあ。

私は一応、無宗教だし、今のところ自分の神も持っていない。
信じてないってのとはまた違って、信じてるけど自分の世界には持ってこないだけ。
偶像崇拝だけが信仰じゃないしなあ。
全てが神だから、一つに特定はしないだけなのかもしれない。うん。
| 世界の話 | 04:20 | comments(1) | - |
世界旅行
前回の続きみたいなもんで、今度はその延長線上にある「死」について書く。
多分、たくさんの人が受け入れられない理論だと思う。自覚はある。
考えても分からない話だから。

ここで大叔父さんのお言葉をお借りすると
「隣の国に旅行に行ったようなもんだよな」。
適確すぎて笑っちゃった。
そう、死ぬっていうのは、祝われこそすれど嘆かれることではないんです。
何度も繰り返してきた中の一回に過ぎない、ごくごく自然な事なんです。
誰かの死を嘆くのはエゴでしかない。

大切な人が死んで、何も感じないって訳じゃない。
もう会えないのは寂しい。
でも、悲しくは、ない。
大切な人が旅行に行くってなった時と、ほとんど同じような心境です。
それは少し寂しいけれど、それでもその人の幸せを願うなら笑って送り出す。そんな感じ。

そんなに、しがみ付かなくてもいいと思うんだよなあ。
怖いからそうなるんだろうけど、本当はちっとも怖くなんかないんだよね。
夜が来ることを泣き叫んで怯えるようなもので。
夜が来ればちゃんと朝は来るのに。
自然な、当たり前の流れでしかないんだから、軽く受け流せばいーんじゃない?と、思う。

とかまあ
絶対、人前ではこの話しないけどな。
すさまじく退かれる(もしくは反論される)だろうから。
でも、直感で真実だと思ってるから、意見は曲げません。
人の数だけ価値観はあるってことだよね。真実も人の数だけ。
| 世界の話 | 12:39 | comments(1) | - |
「大丈夫?」という呪文について

心配をしないというのは、冷たい人間だとか、自己中心的だとか、言われるだろう。
例え心配に思っていなくても、社交辞令で「大丈夫?」と言っておかなければいけない。
そんな変なルールは確かにあるんだと思う。

いつからだったっけなー。最初からだったっけ。
私は人に対して、心配とか同情とか、しない奴だった。
心配だと思えない。悲しいと思えない。
けれど、そんな事を言ったらきっと嫌われるだろうからって、心配してるふりをしてた。
すごーく面倒なことだった。思ってもいない「大丈夫?」を口にするのは。

心配っていう感情が、実はその相手の負担にしかならないものだって分かったのはついこの間。
ここも思い込みパワーが絡んでくるのです。
“心配”だということは、つまり不安だということ。
相手に悪い事が起きるんじゃないかとばっかり考えるからそうなる訳で。
いわゆる“負のエネルギー”のかたまりが発生する。それが心配している相手に届いてしまう。
心配なんて、相手の回復とか幸せとかちっとも考えてない感情じゃん。
そりゃー、どろどろもするさ。

じゃあどうすればいいか。
逆に思えばいい。
「大丈夫?」って訊くんじゃない、「大丈夫だよ」って断言してあげればいい。
心の底から信じ切ってしまえばいい。
それは、絶対に相手の力になる。
メンタルに限っての話じゃなく、物理的な病気とか事故とか障害とかでも同じように効果はある。
病は、気から、だから。

| 世界の話 | 11:05 | comments(1) | - |
信じる者は、救われたり陥ったり。
世界というものは、それぞれその人が望んだ最善の形を保っている。
わるいことも、いいことも、望んだからやってくる。
一見不幸に思えることだって、それに価値や理由や意味がちゃんとあって、必要だからやってくる。
なにを不幸だと思って、なにを幸せだと思うかも、それは人それぞれだし。
やってくる物事を、良い事か悪い事かって分類するのは僕達の勝手であって、本当はそんなもの決まっちゃいない。
得るものが違うだけ。良いとか、悪いとか、ない。
強いて言うなら全部“良い”んだと思う。

今あるものは、全部自分が望んだもの。
自業自得というか因果応報というか。全ては自分が引き寄せたもの。
望んだから引き寄せる。それが無意識であろうと自覚的であろうと。
そういうふうにできてるから。

わかりにくい話だとは思う。
理屈なんか1ミリも含まれてなくて、100%の純度の直感だから。
だからこそ疑いの余地がないんだけど…直感を人に伝えることはできないからなあ。
こまったこまった。

まあ世界は底抜けにやさしいんだぜ って、話。たぶん。
| 世界の話 | 17:06 | comments(1) | - |
 1/2 >>